2024/6/9
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9.小浜島を訪ねて(2) |
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私は、2010年8月に実施された「琉球古典芸能コンクールの三線・安冨祖流新人部門」に合格しましたが、転勤族のサラリーマンだったことから更に上の資格試験にチャレンジすることは断念しました。 しかし、難関の試験に合格したことは今でも誇りに思っていますし、受験前の最後の調整を指導していただいたのが、2022年にご逝去された人間国宝(国重要無形文化財「琉球古典音楽」)の照喜名朝一先生だったことは、私の三線ライフにおいて大変貴重な経験でした。 小浜島の先輩が夕食の支度をしているときに「黒崎さんが三線やっているって言ってたから近所の友達を呼んでおいたよ」とのことでしたので、てっきり三線好き、民謡好きの島のおっちゃんが呑みに来るものと思っていたら、同じ三線の流派で沖縄県指定無形文化財保持者の師範をされている大先生が宴会に同席してくださいました。 私ごときが・・と気おくれしたのはほんの一瞬で、先生のお人柄もあって八重山民謡を中心に唄三線で歌ったり踊ったり、本物の古典音楽の演奏を目の前で聴かせていただくなど本当に夢のようなひと時でした。 ただ、沖縄県外の人間が発音もいい加減な八重山民謡を八重山で生まれ育った人の前でやるのは失礼かなぁとも思いましたが、「教訓歌とか子守唄、男女の恋の歌など、ちゃんと歌の意味を知っていればいいさ~」と優しい助言をいただいたのは有難かったし、本当に嬉しかったです。 小浜島を去るときには、目の見えない先輩に変わって師範の大先生が軽トラックで港まで送ってくださいました。 やっぱり、沖縄はいいなぁ・・・三線やってて良かったなぁ・・・
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